静芝(ジンヂー・せいし)&徐礼達&銭粉香(中国・断橋)の養子理由は一人っ子政策で経歴や現在は!?

静芝(せいし)の養子感動話とは!

2019年1月17日放送の

フジテレビ「アンビリバボー」で

紹介された

1人の主人公で

当時生後0ヶ月の赤ちゃんだった

次女の

静芝(せいし)ちゃん

実は

後に

生き別れとなった

実の両親(長女)と

感動の再開を果たすことになる

中国とアメリカの

2重国籍を持つ元養子の中国人で

その原点は

今から

約24年前の1995年!

静芝(しんし)こと

ジンヂー

この年の7月24日午前10時に

地元では有名な

米料理の発祥地として

知られている

江蘇省揚州市宝応県で生まれた

夫で父親の徐礼達(シュー・リーダー)

妻で母親の銭粉香(チェン・フェンシアン)のもと

実家から約120km離れた

蘇州運河の船で出産することになるが

そもそも

なぜ….水上だったのか?

そこには

命を今すぐにでも

捨てたくなるような

とても辛い理由が

当時から15年前の

1979年に起き

その制裁が

当時の中国は

現在のように

経済が発展せず

一人当たりの

平均所得が貧しかった

影響から

人口を増やせば

増やすほど

赤字が増える恐れを懸念し

後の経済発展のために

一世帯当たり

産んでも1人の長女までと

強制的に

定められていた事による

“一人っ子政策”の違法になり

長女の2番目に

生まれた

静芝ちゃんは

その影響から

ほんとなら

強制的に産ませない

人工妊娠中絶を

するはずが

失敗に終わった事から

命を無駄に

捨てることは

一番良くないと

気付いた

両親は

何か良い方法がないかと

提案したところ

他国の養子に出せば

後に政策が解除され

成長した姿で

再会できるのではと思いつき

行動に移すも

一時

出産場所が悪く

合併症になりかけたが

たまたま

付近に

小さな診療所があり

そこで健康面に

問題がないと

診断されると

遂に

5日後の徐さんが

24歳の時に

観光客で溢れる

蘇州の青果市場まで

連れて行くと

そこで

※引用>courrier.jp/

「私たちの娘・静芝(ジンヂー)は(太陽暦)の

1995年7月24日午前10日に生まれました。

貧しさと社会事情ゆえにこの子を育てざるをえません。

この父と母の心に哀れみを。

私どもの娘を救ってくださり、

育ててくださり感謝いたします。

運命が許すならば、

いまから10年後、

あるいは20年後の七夕の朝に杭州の断橋(ドゥアンチアオ)で再会しましょう」

という手紙を最後に

そこで

別れを告ぐと

その後

手紙と本人は

蘇州市の児童福祉施設に

届けられると

1年後の1996年夏

国際養子縁組

(べサニー・クリスチャン・サービス)の

10組の1組で

アメリカ・ミシガン州

ハドソンビルで

暮らす

福音派・キリスト教徒の

ケンさん&ルース・ポーラー夫妻の2人には

既に

それぞれ中国から

養子を授かり

3人目が

欲しくなった事から

ケイティこと

キャサリン・スー・ポーラーの名前で

ここから

5人家族の1人で

授かる事になり

その中では

養子とは思えないほど

裕福な生活を

人口約7000人の町で生活し

小中高と

人種差別のような

いじめもなく

友人らと

とても

楽しい

学校生活を送り

大学は

ミシガン州グランドラピッズの

キリスト系専攻の

カルヴィン・カレッジに入学後

将来は医学と音楽関係を

目指し

スポーツトーナメント大会では

優勝したり

自宅では

ヴィオラやピアノを趣味にしたり

時には

気分転換に

家族旅行や

修学旅行にも

連れて行ってもらったりと

思い出の

アルバムには

笑顔の

家族写真ばかりで

すっかり

打ち解けていると

10年後の2005年7月7日

七夕当日

ケイティが10歳の時

徐&銭さん夫妻は

予定通り

真実の願いが叶うといわれる

中国の断橋に

向かうも

この時は

ポーラー夫妻が

中国で仕事をする

友人の

アニー・ウーさんに

探してくれないかと

提案も

午後16時という

数分の時間のズレから

実現しなかったが

それでも

諦めず

しばらく

探していると

本人ではなかったが

実現に

繋がる

一歩で

特集している

BBCのマスコミを発見後

事情説明から

付近に

本人と思わしき

人物が

記録されていないか

確かめてもらうと

そこに

「静芝」と大きく

ペンで書かれた

紙を揚げる姿が目撃されると

再び

そのニュースが

中国でも

取り上げられ

その情報を知った

夫妻は

仲介のウーさんと対面後

大事な手紙と

写真を渡される事になるが

ケイティは

まだ幼く

成長と共に

自分自身で

実の両親について

興味が沸くまでは

精神的にきつい事から

しばらく

直接対面は

控えて欲しいと伝え

また

暗い生活を

送る事になるも

ようやく晴れて

2016年

ケイティが21歳の大学生の時

生い立ちを知りたくなり

さらに1年後の

22年が経過した

12年後の2017年8月26日の七夕前日

遂に

生き別れとなった

実の両親と

再会することになり

その実際の

感動の映像がコチラ!

斷橋會:一個被領養的中國女孩的故事

※引用>YouTube

[プロフィール]

名前>静芝(ジンヂー)

生年月日>1995年7月24日

年齢>23歳(2019年現在)

出身>中国・江蘇省・蘇州市

職業>会社員

[プロフィール]

名前>徐礼達(シュー・リーダー)

出身>中国・江蘇省・揚州市・宝応県

[プロフィール]

名前>銭粉香(チェン・フェンシアン)

年齢>中国・江蘇省・揚州市・宝応県

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2019年現在はどこで何を!?

2017年に

奇跡の再会を果たした

ケイティはその後

無事

大学を卒業後

2019年現在は

両親の健康面も考え

中国で

新社会人のOLとして

立派に

頑張っているそうです。

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