日曜連続爆弾魔事件の真相と全貌!犯人は少年Aだった?本名や現在は。

今回紹介するネタは

2016年9月21日水曜日放送の

TV朝日「トリハダ(秘)スクープ100科ジテン 3時間SP」にて

1974年2月、大阪市の駅構内のコインロッカーで

爆発が発生となる日曜連続爆弾魔事件!の公開。

ネタで使用するキーワード一覧

日曜連続爆弾魔事件 犯人 少年A 本名 現在

日曜連続爆弾魔事件の真相と全貌!

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日曜連続爆弾魔事件」!

これには、実際によると

2つの事件が関与されていたそうです

1つ目は、1974年2月18日

午前0時23分に発生した[近鉄緊迫事件]です!

1974年2月18日午前0時23分(深夜)に

大阪市天王寺区の近鉄上本町駅での

最終列車が間もなく発射着後という時間に

大きな爆発音が発生しました

すると、間もなく火災報知器の

緊急ベルが鳴り、3人の駅員全員が

音の鳴る方向へ進むと、駅構内から

約50m離れた、「コインロッカー」近くで

白煙がモクモク出てい事に反応します。

その後、爆発の勢いで近くの

置物など周辺は飛び散った程度で

後片だけで済んで運良く、通行人に

怪我はありませんでした。

また、火災や家事など

火は点火することなく済んだ。

その直後に、爆発物らしき

物体が発見された近くの

ロッカーから「近鉄社長」宛ての

緊迫状らしき手紙が発見された。

そこには「われわれは多額の現金が必要なため

貴社にそれを用立ててもらう。

この書面を貴社がみるころ、近い現場と時効に、

ある場所で爆発が起きているはずだ。

そのあとでも連続して犠牲者が出ることになるだろう。

われわれが所持しているのは二トロである。

五千万円出せ。

もしこの要求に応ずるのであれば「政子話し合う、すぐ電話せよ」

という文と連絡電話番号を毎日新聞の広告欄にのせよ。

警察に連絡すれば、われわれにはすぐわかる。

その結果いかなることになろうと、われわれの方に責任はない。」

しかも、この事件は予告での犯行となっており

爆発直前に近鉄広報担当の自宅へ

「朝までに近鉄のどこかで大事件が起きるだろう」

との電話が中年っぽい男性の声で掛かってきていた。

その後、近鉄本社の広報担当が

警察へ通報され、捜査本部が文の指示に沿って

新聞の特集内に広告を出す。

すると、直後に再び

犯人側から、近鉄本社8階会議室の特設電話へ

繰り返し電話が掛かる。

内容によると、金銭目当てで

駅での5千万円の要求を2億円に伸ばしたが

3月に入ると、なぜか1億円に引き下げた。

その後の新たな緊迫文がこれだ!

「おれは、死刑も覚悟のうえである。

2億円の要求をしたが、運搬その他の都合で、1億円に

変更する。警察が障害となる場合は爆弾で排除する。

長時間を費やして貴社の盲点を調べている。

1億円を全額1万円札で2列に並べて、完全防水包装し、

十文字に紐をかけて準備しろ。指示のあり次第すぐ

運搬できるようにしておけ。

この条件を諾(だく)の場合には、3月6日の毎日新聞朝刊に

「信用全部許す、すぐ帰れ」と搭載しろ。

そうすれば又電話する。」

その後も、3月9日~12日午前までに

合計5回の緊迫状が届いた。

すると、遂に犯人側が屋外へ

車を使い逃亡という内容が

最初の目撃地点の名古屋のタクシーさんの

Mさん当時45歳が証言となり

10日日曜日午後6時半頃に出発の指示となった。

警察は緊迫状を正式に受け

愛知~兵庫の広範囲を広域警戒態勢に指定。

その後は逃亡を繰り返すと

13日午後11時10分に「宇治」の前に止めている

近鉄タクシーに対し、国道の歩道から

1人の男が近寄ってきました。

その姿は、白いマスクを付けた中年男。

そして、男は運搬役でお取り調査の

巡査長に現金を要求する。

腹部の周りには、導火線のようなものを

取り出し「爆弾を持っている。おかしな真似をしたら

これや」と脅した。

その後、巡査が男に迫ると

全体で飛び乗り、運転手の偽物役

巡査の2人で、ようやく取り押さえた!

男の正体は、兵庫県神戸市に住んでいる

無職の「千葉」(当時44歳)の男性と判明。

その直後には、数時間離れた夜に

京都府の警察が茨木インター付近で検問中

不審な男性が運転中の三河ナンバーの

車両を見つけると、その男は

逮捕された千葉の弟(当時31歳)で同時に逮捕となり

長期の緊迫事件に幕が閉じた。

逮捕後の供述では爆弾の正体は

爆竹1000本を地方の火薬専門店で

買い集めて、オリジナルで製造したそうだ

また、2月18日にロッカーに

仕掛けた時間帯は夕方午後4時で

時限措置には、代わりに

ドライアイスを使用しています。

そして、弟が逮捕となったのは

「兄の犯行は分からない」と述べて

当時は観光目的で兄をドライブインで乗せて

目的地に向かったが、硬く捜査で自宅から犯行に繋がる物品を

同じく所有していた事で逮捕となった

千葉兄弟は宮城県登米郡米山町で

農家の一家として生まれたそうです!


2つ目は、1974年3月17日

午前11時半の(日曜日)に発生した

[ウルトラフェス山田]です!

似た事件の2つ目は3月17日午前11半頃の

お昼に日曜日の休日に

「近鉄デパート阿倍野店7階こども服売場で爆発が起こる。」

この現場では、爆発でも散乱などはなく

音と白煙が出て、手持ちの花火程度になり

客と店員に怪我はなかった!

「次の事を実行せよ

我々の要求に応じるならば我々は

第二第三と爆破及び放火計画を中止する

我々の要求とは千葉兄弟を訳放(ママ)せよ

要求に御応じないときは我々は近鉄百貨店

近鉄電車が攻激(ママ)目的となり我々利益を

目的としない甘く見るな ウルトラ山田」!

ちなみに、ウルトラ山田とは

1967年1月の「大丸神戸店爆破事件」の

現場で残された、緊迫状の差出人で使われた名前。

その後も繰り返しの電話が

掛かり、午後4時44分に近鉄阿倍野店に

緊迫電話が千葉兄弟の釈放の内容で脅す形となる。

その声は、本物ではなく

高い声の作りで40代の低く

かすれるような声だったそうです。

そこから時が、3月10日(日曜日)~4月14日(日曜日)

まで、毎週のように犯行を繰り返し

3月10日に、堺市のスーパーニチイの店内で

未遂事件が発生され、現場から爆弾は

タイマー式の爆弾で。近鉄百貨店と同一人物が一致された。

4月7日の犯行は午後4時頃に天王寺署上本町七丁目

派所所で爆弾がまたも爆発。

ここでは、警官1人が右手の指3本を失う重傷で

他の客が4人軽傷。

今回の爆弾は近鉄デパート

上六店から郵送で届けられた。

4月14日になると、この日が突然

事件の最終日となります。

この日は、またも連続の日曜日の犯行で

国鉄天王寺駅構内の地下トイレで

爆発が起きた。

この日の怪我人は幸い1人も

出なかったが、向かい側に近鉄デパート

阿倍野店となっていた。

その後、日曜日の連続爆弾未遂が

落ち着いたところで、ようやく、警察と刑事が4件の

捜査を本格的に進めるが

犯人が千葉兄弟の釈放を求める理由で近鉄での金銭の要求など

本当の事件に見えず解決されなかった。

その後、捜査の資料で日曜日と4件の

爆弾未遂を事件の手がかりになった

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犯人は少年Aだった?

2番目に起きた、爆弾未遂は

1番目より、中身が危険で

4件もの怪我に繋がる内容だった事で

犯人が誰なのか?特に注目の大ニュースだった。

その後、9月に捜査本部の刑事が

爆破事件の現場での写真に注目して

1人の怪しい見物人の顔を見抜いた!

その証拠となったのは、

現場での鑑識に使う保存用のロープに

少年が1人、周りを警戒しながら

見物している姿が写真に収められていた

さらに、別の2件にも

同じく、怪しい行動で睨むような仕草で

写っていたことが、間違いないと

断定され、逮捕に繋がる!

その人物は、大阪府堺市に住んでいた

(当時13歳)少年Aという

中学2年の「爆弾マニア」が実際にいて

その人物が他に見当たらない事で

少年Aが本物の犯人と断定した!

9月25日に少年Aが自らの行動で

警察署へ出頭されたのだ

Aの犯行動機は、

自宅の敷地内にたまたまいた

不審な男を連れてきてというのだ。

全ての爆発物の郵送のサインは

Aが指紋を押したそうで

この指紋こそ、天王寺駅の地下トイレでの

爆発物の指紋がAと一致したことで確保の手掛かりに。

あの時の、電話の中年っぽい電話の正体も

全部はAが自作自演で絡んでいた。

しかし、敷地内で不審な男を

自宅に連れてきた意味が

犯行動機の説明として分かりませんが

これは、嘘の証言で不審な男は実際に

証拠として現れておらず、犯行を隠す目的だったのでは。

それとも、不審な男を

偽の人物として爆弾を偽装で

指紋を付けようとした犯行だったのか。

ようやく、4件の事件が解決され

終了となる連続爆弾魔となったが

Aの自宅は母子家庭が影響で

犯行だったかもしれません。

1人息子で、母とおばあちゃんと

3人だけの家族でした。

母親は税務署の電話交換の

対応で働いていたので

Aは幼い頃から、おばあちゃんに育ててもらいながら

自宅では1人で退屈だった。

小学生で新聞配達で働き

家庭を助け、6年生になると

ほとんど学校を休む生活になり

中学2年で不登校になりました!

その後、中学2から休日を

趣味の爆弾作りにハマるようになり

母は仕事や息子が少年から

犯罪な行動を起こすことや趣味に関しても

全く生活が厳しく知らなかったようだ。

また、学校が苦手で漢字や国語など

文章力も知らなくて書けないことで

母親に緊迫状を手伝ってもらっていた。

しかし、一度この時に

不審な行動を感じて、何に使うの?と

聞けば「なんでもいいんやないけ。言う通りに

書いてくれたら、それでいい。べつに何もせえへん」と

確認後に怒ることなく無言で手渡しとなる。

Aと似た当時起きて

その後実際に偽名で使用した

大丸爆破事件の時は6歳で全く知ることなく

「ウルトラ山田」を見つけた事で使用した。

最後に、74年の日曜日の爆破事件のうち

4件の1件(派出爆破事件)は犯行の

動機が見つからず違う人物として事件になったが3件

少年Aとなった!

日曜連続爆弾魔事件の真相は千葉兄弟ではなく

本当は当時が少年Aと未成年で

名前が出せなかった事情だけで

本当は「少年A」が本当の中身ではないでしょうか!?

少年Aの本名や現在は。

日曜連続爆弾魔事件のうち

2番目の「ウルトラ山田」を名乗っての

犯行だった、犯人となる

少年Aの本名が気になります。

しかし、ネットで一度

検索してみると分かりますが

正式に少年Aに関しての本名や名前について

詳しく紹介されているサイトが

2016年現在も見つかっていません

事件当時がたまたま、中学2年の

未成年だった事で世間では知ることが難しく

ネットの普及や技術がなかった影響で

その後も忘れた事件となり

知ることが全くなくなったのではないでしょうか。

合わせて、現在も全く

特集で公開されておらず、事件当時が

昭和だった事で、忘れかけて

ネットもないので情報更新が出来ずに

そのまま非公開となっています。

まず、生年月日など

プロフィールも公開されていないので

過去から現在について知ることが出来ませんでした!

ただ、奇跡的に生存されていれば

既に殺○まで犯していないので

保釈され、大阪府の堺市内で過ごしていたのでしょうか

感想&まとめ

今回紹介された、日曜連続爆弾魔事件の

千葉兄弟と少年Aが犯人で犯行となった

真相は9月21日のスクープ100科ジテンで

リアルに公開されたので

合わせて、最後までお見逃しなくっ!

見どころは、2つの事件の

犯行から動機の理由になり

また、少年Aの逮捕に関しては

特に詳しく公開されておらず

その後、判決結果や現在については

TVを拝見するしか、手段がないので

気になった方は見た方がお得なのでは!?

最後までご視聴ありがとうございございました!

以上で全ての説明を終わります。

次回のネタもお楽しみ~^^

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