5390便不時着事故とは….?
[発生日]
1990年6月10日
[現場]
イギリス・ディドコット上空
[機体]
引用>wiki
ブリティッシュ・エアウェイズ
5390便が運行する
G-BJRT
[乗客乗員]
乗客は81名の
乗務員は
機長のティム・ランカスター、
副操縦士のアラステア・アチソン、
乗務員のスーザン・プライス、
ナイジェル・オグデン
他2名を含む6名の87名
[真相]
当日は
予定通り
現地時刻
午前7時20分に
イングランド・バーミンガム国際空港から
スペイン・マラガのマラガ空港を
目指し
離陸を開始するが
そこから
間もなく
13分後の
乗務員が
食事の準備を始めた
33分ごろ
上空17,400フィート(5,300m)
付近で
何らかの
原因から突然
破裂音から
勢いで
機長側の
窓ガラスが
割れ吹き飛び
その後
機内は
霧状態になり
この時
正確に操縦できず
あと数秒から
数分で
墜落事故
という方向へ加速し
さらに
急減速により
腰ベルトを外していた
機長は
上半身が機外へ
下半身の脚のみが
機内という状態で
同時に
客室からは
紙や細かい
破片などが
操縦席へ
吹き込み
自動操縦が
自動で解除され
急降下に…..
すると
直後
やっと異変に
気づいた
乗務員の
オグデンが
駆けつけると
すぐに
機長のベルトを
腕で確保し
他の
乗務員
2名は
乗客への対応と
これ以上の
貴重品といった
物が
吸いだされない
ように固定し
ベルトの着用や
酸素マスク
など
緊急体制を
とっており
その後
ランカスターは
345マイル毎時(555km/h)の
気流に飲まれ
-17度の外気温と
酸素低下により
気絶になり
操縦と通信は
機長が機外に
出ていたため
アチソンが
基本
2人で行う
業務を
1人で行い
この時
全員分の
酸素マスクが
確保できなかったため
急降下させ
酸素濃度を確保し
自動操縦を再稼働させ
緊急信号(メイデイ)を
発する
手順になるが
管制塔からの
返答が
激しい気流が
原因で
聞き取れず
予定よりも
遅れることに。
そこから
奇跡的に
生還するまでの
22分間は
オグデン
など
他2名の
乗務員は
機長を手放すと
左エンジンに
吸い込まれ
火災や空中破壊を
招く恐れ
などから
交代で
確保していたが
この時既に
オグデンの体は
凍傷、挫傷、疲労から
骨折をし
さらに
機長は
6-8(15-20cm)ほど
機外へ飛び出すも
最後は
乗務員や
乗客が
必死に
耐え続けた結果
……………
7時55分に
無事
サウサンプトン空港への
着陸許可が降りた
ことで
滑走路02へ
その後の
速やかな
降機により
1人の○者も
出すことなく
到着から生還し
気になる
機長や乗務員に
重傷者は出ず
サウサンプトン総合病院へ
搬送後
ランカスターは
凍傷、挫傷、骨折
などの
診断が出され
オグデンは
肩の脱臼、顔と左目に
凍傷を負い
その他に
怪我人は出ず
その後
ランカスターは
事故から
たった
5ヶ月未満で早くも
業務に定年退職まで
復帰し
定年後は
イージージェットに
勤務することに。
[原因]
離陸する
約27時間前に
操縦室の窓ガラスが
適切に交換
されていたが
その際
取り付け部の
固定ネジに
規格外の物が
使用され
90本のうち
84本の直径が
規定より
0.66mm小さく
他6本の長さは
2.5mm短かったため
強度が不足し
気圧により外れ
驚くことに
ボルト自体は
数年前から
誤った
直径を
使用していたが
偶然
長さが
足りていたことで
事故は起きず
当時
整備士が
ガラス交換の際
マニュアルを
確認せず
既存のボルトと
目測といった
感覚のみで
同じような
部品を
付けたことが
最大の原因で
最終的に
航空機の
設計と整備士のよる
点検ミス
だったという。