ニーラバノットがパンナム73便の犯人を制圧!!?
今回
2020年10月14日放送の
TBS「ワールド極限ミステリー」で
“22歳美人CA自らの命を犠牲に…ハイジャック脱出劇”と題し
紹介された
パンナム航空73便こと
パンアメリカン航空73便ハイジャック事件の発端は….
34年前の
1986年9月5日
当時
インド・ムンバイの
サハル国際空港を離陸後
パキスタン・シンド州の
ジンナー国際空港~
西ドイツのフランクフルトを経由し
アメリカン・ニューヨーク州に
到着予定だった
ボーイング747-121旅客機には
乗客(インド人過半数・
パキスタン人84人・
アメリカン人44人・
イタリア人16人・
イギリス人15人・
ドイツ人)360名+客室乗務員19名の
計379名を乗せ
駐機場で
整備点検を終えた後
離陸されたのですが
カラチ空港に
着陸後の午前6時5分
青い制服にバッジを付け
整備員に変装した
武装男2人と別の男2人の
4人が
キプロス共和国の
刑務所に収監されていた
仲間の釈放を要求から
機内で合流した後
イスラエルで
自爆テ〇を起こす計画で
突然
塗装のライトバン車に乗り
機内へ乱入後
所持していた
銃で
威嚇射撃から
乗客全員を後部に
移動させると
乗務員には
脱出のハッチを閉めさせ
乗客を座らせ頭部の後ろで
手を組むよう指示するが
入社1年目の
新人CAだった
ニーラバノットさん(22)が
一瞬の隙を見て
操縦席の
機長らパイロット3人に
インターホンで
「機長
ハイジャックです
窓から逃げてください
今すぐ」と警告を告げると
3人は
コックピットのドア鍵を閉め
非常用天井口から
ケーブルを伝って地上に降り
空港ビルに無事逃げるが
要求に応えなかった男らは
激怒した末
2か月前に
アメリカ市民権を所有した
インド人の
ラジュシュ・クマールさんを人質に
周囲で警戒中だった
パキスタン政府や航空関係者に
「15分以内にパイロットを連れてこなければ
コイツを〇す」と
従わなかった事に15分後
クマールさんの頭部に
発砲後
機外へ突き落とすと
「こうなったら
アメリカ人全員を血祭りに上げてやる」と告げると
男は
ニーラに
パスポートを回収するよう
指示されるが
乗客の命を第一に
そこで
乗客に
「パスポートを隠して」と従わず
その頃
屋外では
警察特殊部隊が
早急な開放を求め
待機すると
男は
夕方の日没までに
パイロットを戻すよう指示すると
その後
男と
管制塔で人質交渉中
午後15時ごろまでに
ニーラは
男らに
食事を提供させた後
乗客にも配るよう許可を与え
「電気が消えたら
非常口から逃げてください
読んだら回して」と手書きメモを
計画した後の発生から
15時間50分が経過した
午後21時55分
計画停電が実行されると
男らはパニックになり
その瞬間に
ニーラが脱出させる言葉で
「今よ」と告げると
乗客らは一斉に
シューターで滑り降りると同時に
特殊部隊は
閃光弾と自動小銃で
人質救出と制圧に動き
CAらは
こっちよ急いで逃げるのと告げ
最後の1人になるまで
誘導を続けていたのだが
直後
両親と
逃げ遅れた
幼児の誘導中
男から見つかると
銃口を幼児に向けたため
とっさに
シューターから避難させ
盾となるが
Nは発砲後倒れた後
病院へ搬送も亡くなり
最終的に
特殊部隊の作戦により
男1人が射殺
残る3人が逮捕され
負傷者は120名
犠牲者は43名となり
幕を閉じた後
自らの命を盾に
犠牲者を食い止めた
Nには
母国インドから
史上最年少で
ニーラ・バノット・アワードの名称で
国民栄誉賞の他
アメリカから
アメリカ国民栄誉賞、正義賞、英雄賞、
勇敢特別賞、感謝状が
贈呈されました。
[プロフィール]
名前>ニーラ・バノット
享年>22歳
出身>インド
職業>客室乗務員