モニスの生い立ちが閲覧注意!
[発生日]
2014年12月15日(午前9時44分)~16日(午前2時14分)
[場所]
オーストラリア・シドニーのマーティン・プレイス地区53番地
リンツ・ショコラ・カフェ
[犯人]
マン・ハロン・モニス(当時49~50歳)
[真相]
モニスは
1964年
中東アジアでも
食事、教育など
生活環境がとても貧しく
紛争地帯と知られる
イラクで
ムハンマド・ハッサン・マンテギの名前で
生まれ
31年間地元で過ごした後
1996年の32歳の時
突然
オーストラリアに亡命し
その理由が
幼少期から
イスラム教のシーア派信者で
過去
アフガニスタンなど
中東周辺各国で
オーストラリアやアメリカの軍隊が
無差別に
同信者の国民の命を
奪っている事に怒りを感じ
その後
オーストラリアのシーア派指導者からは
シーア派難民は
拒否される事から
左翼のような
新しい社会から文化を作る
過激派組織
イ○ラム国の
スンニ派に転向すると同時に
ここから
名前を解明すると共に
自称・イスラム聖職者を名乗り
大惨事を起こす事になるが
実は
既に
元妻の〇人容疑や
○行、わいせつ、侮辱など
数回の前科を持ち
これらも
信仰の違いだったともいわれ
その後
2014年12月15日
現地時間
午前9時44分
黒のバンダナに
ひげ
白いシャツを着用し
青色スポーツバッグに
ショ○トガンを
隠し持った
モニスは
8人の店員と
10人の客を人質に
イスラム国家の設立と共に
中東周辺各国から
兵士の撤退を
ラジオを通じ
当時オーストラリア首相の
トニー・アボット氏に訴え
この時
実行しなければ
「シドニー周辺に4つの爆発物を仕掛けた」と
脅迫声明を
公表するも
後に
ニューサウスウェールズ州警察の
捜査により
爆発物は
発見されず
そこから
しばらく
政府や警察との
銃撃なしの
交渉が始まると
約5時間後の午後15時37分
遂に
警察による
人質救出作戦が
実行されると
正面入口から
2人の人質が
直後には
3人が
1時間11分後の午後16時58分までに
2人が救出され
この時点で
7人が解放も
残りの11人は
9時間後の16日午前2時8分すぎ
5人~7人が
さらに
14分には
特殊部隊が突入し
2人のグループに分けられ
無事
全員の救出後
男は
30分間の
攻防の末
射○から制圧に
成功したが
当時
従業員のマネージャーを
担当していた
トーリー・ジョンソンさん(34)が
銃を奪おうと失敗から
バリスター法廷弁護士の
カトリーナ・ドーソンさん(38)の2人が
犠牲となりました。
[プロフィール]
名前>マン・ハロン・モニス
本名>ムハンマド・ハッサン・マンテギ
生年月日>1964年
○没>49~50歳
出身>イラク
在住>オーストラリア
参考>wiki