佐々木規夫とは?
これまで
昭和~平成にかけて
発生した
重大事件では
歴史を脅かす
実行犯の1人として
何度も
マスコミメディア
により
特集されているため
1970年代では
見張り役の
大道寺あや子と
共犯した
かなり
有名な
犯人として知られ
その
起きてはならない
悪夢の1日が
起きたのが
………….
1974年8月30日
午前12時45分ごろ
現在の
東京都千代田区丸の内
にある
「丸の内二丁目ビル(三菱重工業東京本社ビル)」で
当時この2人は
現代で例えれば
イスラム国のような
左翼派テロリスト集団
「東アジア反日武装戦線(狼)」(日本赤軍)に
所属され
この集団が
結成された目的は
第二次世界大戦以前
「完全な悪」をテーマに
日本を標的とした
大日本帝国VS
イギリス、オランダ、中国、オーストラリア
などの連合国で発生した
太平洋戦争の時に
陰で密かに
世界の銃など
防衛産業を
支えていたのが
当時たった一つ
存在していたと
いわれる
三菱重工業で
当時
仮にこの会社が
存在していなかった
とすれば
圧倒的に
技術大国から
日本は大規模な
大陸を支配し
現代
経済大国No1となり
1人の貧困層も
現れなかった
可能性もあった
そこで
何度か
警告を続けたが
海外への銃提供の
規制を辞めず
責任から
辞めなかったことで
正式に
「経済的にアジアを侵略している」と
断定後
約400人の
民間人を標的に
時限爆弾を使い
主任、デザイン会社役員
メーカー所長代理、会計士事務所事務員
信託銀行課長。船舶エンジニア
鉱業会社社員、重工社員
といった
関係者
8人の死者と
376人の
負傷者を出す
結末となり
その後
1年後の75年5月19日に
佐々木規夫、大道寺あや子
大道寺将司、益永利明が
逮捕され
動機については
犯行声明文に
記載されていた
「三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃」
という
内容だった。
[プロフィール]
引用>matome.naver.jp/
名前>佐々木規夫(ささき のりお)
生年月日>1948年8月27日
年齢>69歳(18年4月現)
出身>北海道小樽市
活動>元東アジア反日武装戦線
幼少期は呉服屋の子で育ち
その後
伸び伸び
小中高と
卒業も
大学時代に
入試試験で落ち
その後
一時期
両親の仕事を
手伝い
稼ぐと
上京し
間もなく
兄が活動していた
第三世界革命の
文書を作成する
「レボルト社」に
興味を持ち
活動を始め
67年ごろに
齋藤和と知り合った
ことが
キッカケで
「朝鮮革命研究会」を
結成後
韓国へ
日本の朝鮮侵略と
抵抗運動を目的に
渡航し
72年には
「人間の静かなる大地」を
意味する
アイヌモシリに関する
侵略を学ぶと
74年から
大道寺将司から
誘われたことが
キッカケで
「狼」に所属後
非公然・非公法活動
などに参加後
訓練を受け
実行犯の1人として
75年8月以降
「連続企業爆破事件」
「三菱重工業爆破事件」
「クアラルンプール事件」
「ダッカ日航機ハイジャック事件」
「三井物産マニラ支店長誘拐事件」
などに関与
98年には
同じ左翼派活動家の
奥平純三と2人で
他人名義の旅券を
不正に
取得するため
東京へ訪れたが
それ以降
78年から
18年現時点で
30年間
どこで
どのような
生活を
しているのか?
それとも
○亡しているのか?
消息不明だが
引き続き
国際指名手配中
となっている。
ちなみに…結婚や家族は!?
18年4月現在
第二の人生から
家庭を作った
という
更新情報は
公開されて
いませんが
少なからず
69歳で
生きていれば
居る可能性も
否定はできず
そうなると
海外へ
逃亡生活している
可能性が
高いので
国際結婚から
ハーフ系の
お子さんが
いるのでは…?
地下室で爆弾を製造していた!?
これは
とても
有名な話だが
当時
佐々木は
連続爆破事件を
起こす直前
密かに
永田町1丁目10の
自宅アパート1階の
部屋にて
普段は
寝床や
布団などを終う
際に使う
押し入れの床下を
上手く利用し
地下で
潜伏生活にも
使えることから
1人が
やっと入れる
スペースの
爆弾製造工場を
コンクリートを
基本材料に
完成させて
いたそうで
その中には
電気、
勉強机、
ベッドなども
設置されていた
ことから
ほとんどを
そこで過ごし
仮に
製造過程で
何らかの
聞き込みや
張り込み
捜査などから
気づいていれば
………..
全ての
連続爆破事件は
未然に防げたかも….!?
引用>twitter.com/