エストニア号沈没事故の真相とは…?
[発生日]
1994年9月28日
[時間]
午前0時55分~1時50分(55分間)
[現場]
北ヨーロッパの地中海に位置し
ヨーロッパ大陸とスカンディナビア半島に囲まれた
「バルト海」
[船種]
クルーズフェリー
[乗客乗員]
乗客803人、乗員186人
[真相]
始まりは
1994年9月27日よる19時
乗員乗客、合わせて
989人が乗船する
大型旅客専用の
エストニア号は
頭部のタリンを出港し
予定では
約14時間後の翌日
28日午前9時30分到着予定の
デンマークの首都
ストックホルムを目指し
航行していたところで
当日の乗客のほとんどは
ヨーロッパ北部の
スカンジナビア半島出身の国民で
乗員は
エストニア人やエストニア系スウェーデン人らで
そのうち
数人のエストニア系は
紛争から逃れ
50年ぶりに祖国に帰還した難民らで
当日
特に目立った
整備ミスや機械トラブル
さらに
事前予報では
荒れた天候ではなかったが
一つ問題があり
貨物が平均よりも
多く積まれ
配置場所は
バランスが取りずらい
右側に酔っていたといい
現場の風速は
15~20mと
高かったといわれ
そんな難しい
現場指揮を取る事になったのが
エサ・マケラ船長で
無理に出航させない
選択もあったが
これまで何度も
同じような
嵐のような
天候を乗り越えた経験から
「通常の荒天」と
さらに
他の定期旅客船も
海上にあった理由から
通常通り
出航と判断後
6時間後の午前1時時点で
トゥルク諸島近海を航行中
突然異変が発生し
最初の異常は
波や障害物をよける役割を果たす
バうバイザー(船首)に
大波が直撃し
何かが破損するような
金属音だったが
直後
二等航海士が確認も
ランプウェイの2つは
正常を示していたが
実は
この時既に
ランプドアの衝撃で
隙間から海水が流れ込み
機関室から確認されていたが
航海士のもとには
報告がなく
さらに
10分間で
乗員乗客も
異常音を確認するも
事件性を感じ
放置するように
その後
1時15分に
バウバイザーが脱落すると
ランプドアからも
海水が流入すると
勢いに耐え切れなくなり
20分には
乗客に一般警報が
直後
乗員に警報から
1分後には
直ちに
救命ボートで
避難するような
退船警報が発せられ
その後
989人は
救命ボートがある方向を目指すも
海水と傾斜のスピードが
思ったより
早かった事で
間に合わず
22分には
緊急メーデーを発信後
北東を航行していた
マリエッラが
24分には
2回目で
14個所の地方無線局で
受信に成功すると
周辺を航行していた
船舶やシリヤ・ヨーロッパと
交信に成功し
位置情報を発信し
助けを求めるも
停電から
正確な位置を送れず
その数分の遅れにより
エストニア号は遂に
減速し
港へ引き返すも
4基のエンジンが
停止してしまったことで
乗客乗員を乗せ
避難させないまま
船体が
15度、5分後には30度
そして
最終的に
1時30分には
完全に横転してしまい
25分後の1時50分には
周辺の
船舶レーダーからも影が消えると
ウト島周辺の沖(157度水深74~85m)の
北緯59度22分9秒東経21度40分0秒
北緯59.36917度
東経21.66667度で沈没し
その後
28日2時12分~10月4日まで
周辺各国と連携し
海上や地上からのヘリなどで
捜索活動が続けられた結果
989人のうち
137人の命が助かるも
残り852人の命が奪われ
事故後に
判明したことは
船舶救出者は
34人
ヘリコプター救出者は
104人で
外部まで脱出できたのは
300人で
そのうち138人が
救出され
多くは
船内から脱出できず
性別は
10代~55歳以上の男性が多く
生存は504人中111人
女性は485人中26人で
犠牲者の国籍は
スウェーデンの501人が
最も多く
次いで
エストニア、285人、
ラトビア17人、
ロシア11人、
ノルウェー6人、
ドイツ・デンマーク5人
リトアニア3人、
モロッコ2人、
イギリス・ウクライナ・オランダ・カナダ
ナイジェリア・フランス・ベラルーシ1人で
死因は水中での
溺死、低体温症、心臓病で
犠牲者の1人に
エストニア人歌手の
ウルマス・アレンダーさんも
含まれ
これは1912年の20世紀初頭に
北大西洋の海上で
氷山に激突後
1513人人が犠牲となり
映画化もされた
史上最大の海難事故
「タイタニック号」に次いで
2番目に大きな
海難事故となります。
原因は3点にあった….!?
当時
スウェーデン国家海事委員会の
ステンマルク長官は
記者会見で
直前に破損した
船首ドアが開き
車両デッキに流水したことが
原因としたが
その原点に
絶対にあっては
許されないミスが隠され
船首ドア部分のカバーが
通常とは異なる
サイズで製造されてしまったため
ロックの強度が弱く不十分で
その後
整備士による
メンテナンスも不十分で
結果的に
通常の16~17ノットよりも
高速で
航行していた事が
破損から燃料を使いきり
停止させ
沈没させてしまった
原因でもあったらしく
事故当時の記録では
事件性を疑う
故意に爆発させた
痕跡が残されていた事から
陰謀論も隠されていたが
その後
破片は
バウバイザーの
損傷による脱落時の物で
その裏に
スウェーデンとの
政府の紛争対立があり
スウェーデンの元税関職員が
エストニアは軍の危険物資を
連携国に輸送していると
1994年9月に
公表した事だが
その後
両政府の捜査の結果
14日~28日当日までに
運ばれていないが
食糧や衣類など
支援物資を
運んでいたとみられ
後に誤情報と
判明しています。
ちなみに…当時の記録動画はないの?
2018年10月現時点で
YouTubeなどで
確認してみましたが
公式では
今のところ
非公開の様ですが
10月31日
TBSで放送の水トク
「世界のド肝を抜いた!衝撃”神”映像」で
再現VTRされた
みたいなので
そちらを
視聴することを
おすすめします。