杉本嘉昭は母子家庭で高学歴だったのに…?!
事件の発端は
今から
43年前の1979年11月4日
午後20時すぎに起き
被害者となった
仮名の鷹野秀樹さんは
福岡県小倉市出身で
別宅2棟を共同使用し
福岡県北九州市小倉南区津田と
当日は小倉北区三萩野二丁目に住んでいた
病院長経営・津田薫さん(61)で
津田さんには
妻(1980年1月当時57歳)、歯科医の男性と結婚した
30歳長女、29歳次女の4人暮らしで
津田さんは
小中高と進学後
九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)を卒業し
1946~1959年まで
福岡県北九州市小倉南区春ヶ丘10番1号に所在する
国立小倉病院に就職から退職後の
1960年から
津田診療所を経営開設後
最初は
内科として患者を
受け入れたが
その後
津田病院に改編すると
外科、小児科、放射線科を増設し
ベッド数は171床で
ここには
一般的な
病気やケガの患者だけでなく
生活保護受給者や反社会勢力の団体関係者も
人道的措置の特別枠で入院させ
1974年からは
医療品、医療器材の販売会社や
マンション6棟や借家を含む
賃貸不動産会社を設立すると
分譲型住宅の販売を手掛けると
総額30億円以上の
報酬から
プライベートの自宅などでは
糖尿病の疾患で
インスリン注射をしないと
生命危機に直面していた事から
生命保険会社5社に
総額2億2000万円の保険をかけ
小倉南区津田には
総工費推定1億円で
豪邸別荘や300戸ほどの
新たなマンションを建設予定だったそうで
77~78年には
北九州市の億万長者番付で3位になるほどの
現代で例えるなら
楽天の三木谷社長やソフトバンクの孫正義氏と同じく
資産家として
地元では
特に有名だったそうで
その影響から
親しく信頼されるような
患者や知人関係者が多かったそうで
その中には
芸能人や相撲界の力士
反社の暴〇団幹部2人が含まれ
性格は
とても真面目で
看護婦が薬の空き箱の
管理がおかしかった際には
しっかり直すような
曲がらない気持ちが強かったが
一方で
休日は
繁華街で
豪遊生活の目撃が多くなり
その影響が
人生を分けてしまうと
その後
信頼を裏切るように
他に
医師が勤務されず
常勤医師は
津田さん1人だけだった事から
監視不足で
無断外泊、飲酒、覚〇剤使用者まで出すと
1979年5月には
飲酒が原因なのか
患者同士の喧嘩で
1人が亡くなられてしまう
〇人事件が
問題視されると
医師の性格悪さも
引き合いに
1978年10月2日に
犯人となる
釣具店経営のS・Yが
北九州市で対向車と衝突する
交通事故で
全治2か月のむち打ち症の重傷で
12月27日まで
入院すると
その裏で
経営や豪遊情報を
院長関係者を通じ
耳にすると
もう1人の共犯となったのが
75年に
津田さんが
客として訪れ
自宅まで執拗に訪れ
良い印象を受けさせる
偽装を図るように
贈り物を続け
1979年夏ごろから
Sと交際関係にあった
75年のカーニバル・76年のビーナス・以降のピラニアスナック店長のY・Kで
すると
事前計画後の
11月4日午後20時ごろ
Yは髭をそり落とす
変装すると
Sを連れ
ピラニアで散弾銃と短刀を
出入り口付近カウンターに隠し
Yは店内で
Sは30分後に
北九州市小倉北区堺町一丁目5番12号4階の
エルザビル横の駐車中で
車内で待つと
被害者は
ラメ入りの紫上着にダイヤ入りのピアーゼ高級時計(時価502万円)&ループタイ(170万円)、
指輪(70万円)を身に着け
午後21時ごろ
家族に
「ちょっと出かけてくる」という
言葉を最後に
10~17分ごろ
ピラニアに来店後
お酒を飲ませると
“歌手の小柳ルミ子を紹介する”と
騙すと
マネージャーにと
謝礼金20万円を授かり
洋酒棚に保管し
そこから
Sが合流後
Yが逃げないよう
出入り口のシャッターを閉めると
短刀を持つと
被害者が
“Y何のまねかね”と
問うも
Sが
“やかましい
ぐずぐず言うなぶっぱなすぞ服を脱げ”と脅し
75万円をカウンター上に出さるも
無防備になるのを
拒んだ事から
背後から
短刀で
首を軽く2.3回たたくと
被害者が
左手で
払おうとしたため
左わき腹や左肺を切りつけると
さらに
高額な現金を要求したが
対応しなかった事から
14.5時間
救命措置せず
放置させるが
2000.3000万円ならと
受けたことから
95万円の中の
5000円を止血として
ガーゼや増血剤を
スーパーで購入し
一時
回復後の5日午後21時ごろ
被害者の
妻に
電話で
小倉キャッスルホテルまで
現金を持って来いと脅すが
再び
ニュー田川に変更するが
2回とも
現金受け取りに
失敗すると
現金受け取り出来てれば
人質を生きた状態で
返したが
受け取れなかったことで
〇害計画に変更すると
ガムテープで
手足や口を縛り
午後13時ごろ
院長を寝袋に入れ
2人が馬乗りになり
両手で首を〇めると
亡くなられた〇体を
2時間後に
鉄製ロッカーに入れ
エレベーターで下すと
釣り客用送迎のトヨタハイエースに
積み込み
京都府苅田町のモーテル「泉」の
浴槽で
鉈、ノコギリで
頭部、手足、胴体を切断し
ガーゼ、ビニール袋、ポリバケツ、毛布に包み
被害者の着用物は
小倉南区朽網の
九州電力千拓地の池に鉈、ノコギリと共に
証拠隠滅で投棄し
6日午前1時ごろ
フェリーの
はやとも丸に
偽名で乗り
大分県国東半島の沖合に
〇体を放棄すると
6日午前5時に
到着先の
愛媛県愛南町のシーパレス宇和海や
7日には
道後温泉で2泊すると
被害者の妻が
予定を過ぎても
帰宅しない事で
7日午後16時すぎ
弁護士と共に
小倉北警察署へ
捜索願提出後
署員が
15日午後15時ごろ
大分県国東市の来浦海岸沖合約600m先
ノリ養殖場で
作業中の漁師2人が
不審物を
発見し
岸まで引き上げ
調べた際
水〇体と判明し
県警へ110番通報後の16日
署員が引き取り
現場検証から
強盗〇人・〇体遺棄事件と断定後
関係者の聞き込み証言から
1980年2月29日
別事件の
恐喝未遂容疑で逮捕され
3月9日に
Yが
認めたことで
2人が〇体遺棄で再逮捕されると
4月1日に
Sも認め
2日には
強盗〇人で再逮捕され
そこから
一時
1982年3月16日に控訴
1984年3月14日に上告するが
2度棄却され
1988年5月18日に
2人の死刑判決が確定し
7月11日に
福岡拘置所で
死刑が執行され
Sは享年49歳、
Yは享年43歳で旅立たれました。
[プロフィール]
名前>杉本嘉昭
生年月日>1946年10月19日
享年>49歳(1996年7月11日)
出身>福岡県行橋市
在住>福岡県北九州市小倉北区昭和町850番地-2
職業>徳力釣具店経営
杉本は
1946年10月19日生まれで
出身は福岡県行橋市で
本籍は福岡県北九州市小倉北区昭和町850番地-2で
住居は
小倉北区木町一丁目で暮らし
仕事は
小倉北区片野三丁目の
徳力釣具店の経営者で
幼少時代は
持病の
父親とは離婚された
母親と暮らし
その複雑な環境から
卒業する
1965年の高校時代には
喧嘩、恐喝事件の前科歴が
あるともされ
その後
国鉄の行橋機関区に
整備係として
就職も半年で
自ら退職すると
鮮魚仲買業に
再就職し
そこの経営者の子と
結婚も
離婚すると
再び
新たな飲食店を開業すると
そこの
従業員女性と
再婚すると
釣具店で生計を立てる
一方で
北九州釣り具店協同組合の
小倉支部長を務め
動機は
生活費や趣味、遊び金欲しさと
恋人への
借金返済で
楽にお金を奪う事が目的でした。
※引用>ウィキペディア